× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
色々な方のお力添えにより、
なんとか母娘揃って、祖母を見送る事ができました。 もう8〜9割駆けつけるのは無理かと思っていたから、 例え電車を乗り継ぎ11時間以上の長旅になっても、辿り着いて本当に良かった。 おばあちゃんのご加護があったのかもしれない。 そして鹿児島から無事帰って来ました。 ご心配おかけしました。 *滞在先での励ましや、お悔やみのメールを下さってありがとうございました。 *メールをしていると、悲しい気持ちから気が逸れて良かったですよ。 *(こうやって日記を書く事に打ち込むのも、同じ事なのかも…?) *どんなに立て込んだ時も、そんなメールを邪魔に思う事など絶対にないです、 *優しい言葉をかけてくれる気持ちを何よりもありがたく思います。 *場合によっては返信が遅れる事があっても、返信は必ずします。 早いもので、ちょうど今日でおばあちゃんが亡くなって一週間だ。 この一週間は、まるで夢でも見てたみたいに色々あって、 頭がぼんやりしている。 実際おばあちゃんの姿を見ても、 眠っている様な、静かに話を聞いてくれている様な安らかな顏で。 なんだか本当に亡くなったのかな、 もう二度と会えないなんて本当だろうか?と未だに思ってしまう。 触れてみた頬がどんなに冷たくても。思っていたより柔らかかった。 お棺に入れたいと思っていた手紙や写真を急な移動で用意できなかったので、 葬儀場に着いてから、 誰もいないトイレで泣きながらノートの切れ端に手紙を書いた。 みんながお棺に花を入れるときに、 おばあちゃんの右頬のあたりに花と一緒に埋めた。 今頃天国で愛犬たちとゆっくり読んでくれているかも。 火葬されて、きれいな真っ白なお骨になってからは、 尚更リアリティがなくなってしまう。 人間って、1時間半でこんな欠片になってしまうんだ…。 お箸で骨壷に入れながら、このきれいな欠片がおばあちゃん…? 火葬場から、また葬儀場に戻る途中に、骨壷を抱えながら見る景色は、 雲一つなく晴れて空は真っ白だった。道路もあまりにまぶしくて、 今抱えてるお骨や、自分がここに居る事も、見覚えのない親戚たちも、 おばあちゃんが亡くなった事自体、全部白昼夢みたいだった。 (白昼夢って多分こんな感じなんだろうな…と涙を枯らしてぼんやり考えていた) 親戚の叔母さんと話したとき、 体操の教師をしていて風邪を滅多に引かないという叔母さんも、 おばあちゃんが亡くなる前に珍しく風邪を引いたと言う。 私も普段は丈夫で、あまりひどい風邪を引かないんだけど、 亡くなる日の前後に急にひどい風邪を引いた事など、 今思うと、もしかして虫の報らせだったのかもしれない。 お母さんはまた病院に戻っていった。 地元の駅まで帰って来てきたら、頭上には桜が満開で。 夜空に桜が映えて、はっとする程とてもきれいだった。 風にわずかに揺れている様子は、 まるで桜が微笑っている様な、話しかけてくれている様に見えた。 くたびれてずっとうなだれてた頭を、上げなさい、と言われた気がした。 おばあちゃんは大正13年3月4日生まれで、 こんなに桜が眩しくてきれいな時季に生まれて、 また、こんな季節に去っていったんだなぁと思うとなんだか胸が切なくなった。 帰って来てからは泣く事もなく眠っていたけど、 やっぱ今、色々思い出しながら日記書いてたら涙が溢れてきてしまうな。 おばあちゃんとはまた来世で、家族として逢いたい。 ↑拍手いつも沢山ありがとうございます! PR この記事にコメントする
|