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↑タイトルに「目にティッシュ詰めて書いてます」とはさすがに書けなかった…。
昨日に引き続き、鼻水の次は涙だよ…(^_^;) 今日もね、SHT(ゴーオンとかキバとかプリキュアの時間帯ね)観たあと、 ずっと安静に寝てたら、 (のんきにモモタロスがいっぱい出てくる夢を見てた幸せだった) 夕方17:35に親戚の叔父さんからケータイに電話かかってきて、 寝起きの低い声でケータイに出ると、 「○○ちゃん、お義母さん亡くなったからねえ(鹿児島弁)」 「…、え……?」 昨日、3月22日(土)の夜22時頃、 おばあちゃんが亡くなっちゃった。 ほんとに別れって突然だった。 私、おばあちゃん大好きなんですけど…。あの…。 とりあえず入院中のお母さんにもその事を伝えた。 叔父さんが言うには、 今朝、おじいちゃんが布団で冷たくなってるのを見つけた様なんだけど。 死因は「心臓が…」とか言ってたけど、苦しんだ形跡はなかったらしい。 心不全だろうか…?眠る様に亡くなったのなら、せめて救われるけど…。 滅多に交流のない叔父さんから、私に連絡がくるなんて、 当然だけど、おじいちゃんのショックは相当量り知れないものなんだろう。 身内の死は、私にとって生まれて初めての事で、 夕方電話で聞いたときは悲しみがどうこう以前に、何がなんだか訳がわからなくなった。 何がなんだか、交通費があれば今すぐ支度して空港に走る所だろうが、 そして本来なら鹿児島にとっくに着いてる頃だろうが。 お金が本当になかった。する事がない。実感もない。 しばらく『ちび○る子ちゃん』を見たままぼんやりした。 その後、『サザ○さん』が始まってから、たくさん泣いた。 それで、ひとしきり泣き疲れて落ち着いてから、ネットやったり、 メールを送ったりして気を紛らわせたかったんだと思う。 本当に…体調の事を気遣ってメールを送って下さった方に、 今日は特に…、体調の事以上に救われてましたよ。 人間いつ何時、何に見舞われるかわからないよ。生き死には特に…。 ありがたく、嬉しいメールを何度も何度も目を通して、 嬉しい気持ち、恵まれてる気持ちで、悲しさを和らげさせて貰った。 また、ここ見て驚かれるかもしれないけど…;ごめんね; ありがとう、本当にありがとう。ありがとう。 おばあちゃんには、毎月1〜2回は電話をしてあげてた。 私もおばあちゃんと話すのは好きだったし。 「あげてた」なんて言うが、 私がおばあちゃんの明るく穏やかな性格に毎回癒されて貰ってたんだけどね。 一昨年の年末に会ったきりだったから、 また頑張ってお金貯めて会わなきゃな!なんて思ってた。 けど最近では「忙しいから」と、 一月近くまともに電話ひとつしてあげられなかった自分を悔やんだ。 何が忙しい、だ。大層な仕事もしてないクセに。鹿児島に駆け付けるお金も稼げないクセに。 ご飯食べる時間も、トイレ行く時間も、休憩をとる時間も、毎日あったじゃないか。 時間もチャンスも自分で作るものって知ってたくせに。。。 知っててやらないのは怠惰であり、罪だ。あとお金がないのも罪だと思った。 よくやりがちな、 「忙しいから」「お金ないから」を言い訳に、 何もしない・できない人間(自分を大いに含む)は最低だな、と思った。 とりあえず何でもそれで言い訳がまかり通ってしまうだけにタチが悪い。 結局、後悔するまでそのままにしちゃってさ…。 『生きていたら』、電話一本でいつでも話せる(繋がれる)ってタカを括ってたんだ。 『生きていたら』ね。 高齢だったし、近い将来こうなる事はわかっていたはずなのに。 こないだの春分の日でも、亡くなる日の午前でも機会はあったじゃないか。 土曜の午前にでも電話してあげられたら、 病は気からというし、その日の晩には死なずに済んだんじゃないのか。 おばあちゃんの孫は私たった一人だけだから、 お母さんは入院してるから、自分(母)の事に集中するしかないし(して欲しいし)、 他でもない「私」が! 最後に目をかけてあげられなかった事にすごく責任を感じるし悔やまれる。 家族との死別は、避けて通れないもので、特に祖父・祖母との別れは、 すでに経験されている方も少なくないに決まってるんだけど。 けどやっぱ悲しいものは悲しいね…。 遠く離れた地から駆け付けてあげられないし…。親族はもう集まってるというのに。 たった一人の孫の私が駆け付けられないのかよ。一人娘のお母さんも…。 明日のお昼には火葬されちゃうよ。。。 直接、私とお母さんの写真を棺に入れてあげたかった。 昔可愛がってた犬の写真とかも…。 けどおばあちゃん、よくコロッと死にたいって明るく言ってたから。 (人に面倒かけるのが嫌だったみたい) 希望通りになって良かったね…。きれいな去り際でした。 生活もおじいちゃんと二人きりで、 誰にも面倒かけず自立してたし立派な生き様だった。 おばあちゃんは気は優しくて芯の強い薩摩おごじょだった。 私にもその血が脈々と流れている事を誇りに、もっと逞しく生きて行きたい。 ↑拍手いつも沢山ありがとうございます! PR この記事にコメントする
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