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今晩の22時でおばあちゃんの『三週』忌だ。
まだ三週、もう三週。 四十九日(七週)までもう半分になった。 ※でも四十九日までは、ここでひっそり思う存分偲んでみる。 『(初めての身内の)死というものに遭遇した自分』の心情に素直に向き合い、 綴ってみようとも思っている。 そうすることで、事実を受け留め、故人ともきちんとお別れできる気がする。 (「死」から目を逸らしていると、むしろいつまでも引きずるというから) これを機に、改めて自分というものを振り返り、分析してみようとも思っているしね。 大分落ち着いたもんだ。。。心配いらないよ。 ※ジメジメムードが苦手な人は総員退避!! こうして文章に気持ちを書き起こす事で、人に耳を傾けて貰うだけで、 落ち着きを取り戻しつつある。 時間と共に、 少しずつ悲しみが癒えてきているが…それにしても時間ばかり流れるのが早い。 + そうして、改めて振り返ると、 葬儀からの帰省直後1〜2週間の自分はどうも普通じゃなかったんだな、って事。 なるべく職場では祖母云々の事を考えないようにしてみるのだが、 いつも通り明るく仕事に励んでいても、 心は虚ろで、簡単なミスを何度も何度もしてしまう。 いけないと思うのに、焦るのに、それでも同じミスをくり返してしまう。 注意深く上司や先輩の話を聞いているのに、 聞いている傍から言葉が一向に頭に入って来ず、 無意識にうわの空になってしまっている様で。 結局、仕事に打ち込もうと思っても、全部『つもり』になってしまって。 心と身体がバラバラになってしまったようだ。 忙殺して全て忘れてしまいたかったのに、 簡単な事すらまともに出来ず、仕事に打ち込む事もできず苦しかった。 + どうやったって、身内との死別は避けられないもの。 私だけが経験するものじゃない。誰もが避けられないもの。 不幸なんかじゃない。ごく自然な事が私にも起きたに過ぎない。 自分だけが悲しい訳じゃない。 頭では分かっていても、いざ経験してみれば、 それはそれ、これはこれ、とでも言う様に(苦笑)。 見事に思考と気持ちがバラバラになった。 こんな悲しみを…遠い将来(であって欲しい)、 今度は親を見送る事になるのかと思うと、小心者ゆえ今のうちから怖くてたまらんよ。 *だから仮に自分が親になったら、おばあちゃんみたく誰の心配もかけずに、 *末永く健康で、精神的にも経済的にも自立しなければならないな、と思った。 *早いうちから子供や孫に心配かけちゃいかんよね。。。 *こんな、大の大人でも辛い様な悲しみを幼い子になんてさせちゃならんよ。 *そのためにも今のうちから身体を鍛えておかなければね☆ *それで、お迎えが来たら、私も穏やかにコロっと逝くんだ。 まあ、間違っても自分が親より先に逝くような親不孝は絶対するまい。 + また、 「悲しいからと言って、いつまでも引きずってはいられないでしょ! 自分の生活は自分で守り、逞しく生きていかなきゃ!」という前向きな気持ちと、 「いつまでも故人を偲んでいたい、深い悲しみに浸っていたい、 自分の中だけの閉じた世界で、静かに孤独に慎ましく生きていきたい」という 後ろ向きな相反する気持ちが常に同居している。 もちろん後者の後ろ昏い気持ちで、のうのうと生きて行ける程、社会は甘くないので、 後者は単なる妄想で、いわゆるファンタジーの枠を出ないが。 (そして、そういう社会だからこそ鍛えられ、健全でいられるのではないかと… (個人的に思うに、引きこもっていられる状態が長引くほどに症状は悪化すると思う 今更だけど人は常に、眩るい光と昏い闇を抱えて生きてるって事なんだよね。 常に明るく品行方正に強く逞しく生きて行ければ望ましいし、 何事にも動じない強い精神力があれば素晴らしいけど…。 (↑欲しい。どうやったら手に入れられるんだろう?) 『心があるから』いつも同じにはいかない。人知れず荒む夜もある。 人の心って本当に海みたい。穏やかだったり荒れてみたり。。。 そういう不安定なものに対して、どっちが善い・悪いとは割り切れないもの。 世間では『物事の表と裏』と称す事があるが、きっとどちらも本当なのだと思う。 何事も片方だけでは成り立たない。どっちの面もあってこその人間だろう。 + けど、最近は大勢の人との交流も盛んにあって、元気を取り戻してきた。 独りで抱え込んだり、引きこもったり、 悩んだりする隙を与えなかったのが良かったかも。 仕事と違って、無機質にひたすら孤独に打ち込むものとは違うし。 人で出来た傷は、やはり人で癒すのがいいのかもしれない。 どんなに些細な事だとしても、 人って、やっぱり人に支えられるものなんだなぁ。。。 + 自分を責める事(心の自傷行為)も最近ではだいぶ少なくなった。 もうすでにこの世には居なくなってしまった人への、 遣り場のない深い後悔や、無力な自分への激しい憤りを、 懺悔のつもりか、自分を責めてみたり・苦しめてみたところで、 (そしてそれがどんなに自己満足だと知ってはいても、 (気が済むまで止める事はできなかったし、 (醜く荒れる事も、今ここへ来てようやく落ち着いて来るまで、 (全部ひっくるめて、そういうものだったのかも知れない 亡くなった人に心配をかけるだけだ。(それでも悲しくなる夜もあるが) ↑故人を悼んで思いを馳せるのは良いとして、自分を痛めつけるのは良くない。 もう、自分で自分を責めるのは虚しい事だから止めようと思った。 誰も私を責めてはいない。単に自分で自分を縛っているに過ぎない。 そんな身勝手な思い込みで、おばあちゃんを巻き込んではいけない。 そんな悪い癖から、自分を許して遣れるのも自分しかいない。 客観的に見て、もっと楽に生きて欲しいと、おばあちゃんもきっと心配してることだろう。悪かった。 どんなに悲しい時でも、掃除して、自炊してたっぷり栄養摂って、 軽く運動して、きれいな空気に換気して、早寝早起きしてたら、 (昂って眠れなければ、眠剤のお世話になってでも無理矢理早寝する) 環境を整えていたら、心は健やかに回復するのが早まるんだって思った。 帰宅したら続きを書こうと思う。 ↑って毎度毎度、長っGEEEEEEEEE!!!!と思ったので、いい加減終わっとく。 この日の晩に、 事情を察した友達がお家にお招きして夜遅くまで話をじっくり聴いてくれた。 友達のご家族みなさんで、できる範囲でご飯やおやつも私のために用意してくれて、 帰りにはおやつもたくさんお土産に持たせてくれた。 ここのご家庭は、一人で暮らす私のに対してとても親身にして下さる良い方々だ。 人の優しさがものすごく有り難かった。。。 帰りは風が寒かったけど、温かい気持ちで帰路につけた。 私は多くの人に助けて貰っている幸せ者だ。 私がこの先、この人たちに何かお返しできる事はあるだろうか。考えてみたい。 ↑拍手いつも沢山ありがとうございます! PR この記事にコメントする
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