以前、みいちゃんは毎回トイレまで付き添ってくれる、
という、話をした事があった。
そしてトイレから出てくるまで待っててくれる。
トイレまでの先導も、私がちゃんとついて来てるか
何度も振り返りながら。
まるで子猫を連れ添ってる母猫みたい笑
…お母さんごっこしたいのかな笑
そしてトイレに辿り着いたら、
トイレの近くの子供の背丈ほどの段ボール箱に腰掛けて待ってる
また、トイレの帰り道でも何度も振り返り案内してくれる。
私、昨日普段では有り得ない腹痛で30分くらいトイレに篭ってた。。。
途中、痛み止め飲むほど
そんなにトイレに篭ってたのに、
ずっと離れずに扉の外から声をかけたりしてくれてた。
そして、げっそりしてトイレから出てきたときに、
すごく一途な瞳で私を見上げていてくれた
こんな一途なこの子。。。
――――そのとき初めて思ったんだ。
これは決して悲しい話ではなくて
自然の流れでいうと、
順当にいけば、まだずっと先だけど、
みいちゃんから寿命で天国へ召される
(
絶対病気になんかさせるもんか
)
そのあと私が逝く
そしたら、もし私が天国に行けるならば、
みいちゃんがお迎えにきてくれるような気がした。
この子は絶対来てくれる気がする
天国の階段を数段先に登って、
いつもみたく、何度何度も振り返ってくれて笑
だから私はいずれ寿命で逝去希望だけど、
そのときの楽しみが一つできて、嬉しかった
毎晩、新婚みたく寄り添って一緒に寝ています
みいちゃんから頬を私の胸元に寄せて、
私の手を握ってきます
そのときの顔がとても幸せのように見えるのです
私は無力です。
でも、たった一匹の家族を、生き物を幸せにできているのでしょうか。
もし幸せにできていたのなら、
私の存在意義はそれだけのために在り続ける。
私も満たされた存在として生きて行ける。
小さな小さな猫がもたらしてくれたものは、
思っていた以上に大きなものでした
家族が欠けている、
心の一部が欠けていた、
私の空白をみいちゃんが埋めてくれました。
伴侶動物と暮らすというのは、そういう事だったのか。。。
可愛い猫を育てるのは飼い主次第、
と、本に書いてありました
大事な物をもう掴むことができたのか
もしくは、あと少しで掴みかけている私です
ありがとう、みいちゃん
幸せに長生きしてね
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