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宮崎監督のドキュメントがさっきまで1時間半も放送されてました。
前々から見たい!!と思ってたけど、仕事の都合で見れるか微妙だった。 けど運良く見れたよ〜〜(゚∀゚)ノラっキー! 監督幼少のエピソードなど、病床のお母さんを気遣って 子供ながらに苦労とか我慢とか沢山してきた生い立ちには泣いた。 お母さんが25年前に亡くなっても、 今でもずっと母の面影を追って作品を作っているという事がよくわかった。 すごくお母さんに思い入れがあって、毎回作品づくりにも深く影響しているんだな。 67才の現在で、いつも最後の作品と思って全力で取り組んでいるそうで。 いつか退く事も考えながら毎日悩んで苦しんで精一杯生きている姿があった。 友人知人も亡くなっていく中で、近い将来として自身の死も意識しているようだった。 人は年齢を重ねていくと、 いつしかどう生きるかの「生きざま」から どう理想的に亡くなっていくかの「死にざま」に思考が変わっていくっていう。 自然なことなんだと思う。 きれいな夕陽を見て、「この世の終わりみたいだ」とか、 「人を楽しませなければ、自分の価値はない」と思ってるとことか、 (↑けして聞いていてネガティブな発言ではない。淡々と自然につぶやいていた) 繊細な感覚の人で、何気ない一言一言がなんだか感傷的に思えて困ってしまう。 そしてなんか監督のロマンティックな性格が出てると思う。 けど、繊細だけど脆弱ではない。芯が強い。 ものづくりの人らしく職人気質で頑固な面もすごくあって、 厳しくスタッフを叱りつけてるとこもあったりして。 健全にまっすぐたくましく生きていて、好感が持てる人だった。 母性に強く惹かれている反面、 今更いうまでもないけど実際に子供も大好きな人なんだなって思った。 清潔感のある生きざまの人だったのに感動した。 私は、宮崎アニメの大ファンという訳ではない。 それでも、他人に感銘を与えるこの人っていう人間がすごい。 ただ、子供に夢を与えたい、人を楽しませたいっていう気持ちで、 なおかつ商業(ビジネス)とのせめぎ合いにも苦しみながらクリアして、 ひたすらストイックにまっすぐ生きてる人の作品としてすごく惹かれた。 職人かつエンターティナーとして一線に居続ける人の姿勢は 仕事以外の生活やメンタル面でも、やはり常人からは外れていた。 陳腐な物言いで申し訳ないが(苦笑)、「仕事のできる人ってやっぱ違う」 日常であがいたりもがいたり焦ったり、煩悩溢れてたり、 なかなか安定しない未熟な自分からすると仙人みたいっていうかね…。 霞食べてそう……(笑)。 こう、母への思い入れとかジレンマとかコンプレックスとか 色々精神的な痛みを人並みに抱えているとこをTVで気さくに見せてくれても、 長年心に持っているものをあえて掘り下げない所とか。 ぐずぐずひたったり酔ったりしないとこが潔い。きれい。 自分を冷静に観察しているとこが人間臭くない。いい感じにクール。 私はジメジメしてしまうとこを自覚しているので、 そういったきれいな姿勢には敏感に感じ取ってしまう気がする。 前にも何度か書いたけど、自分にないものには誰でも敏感だと。 (そー、例えば不幸体質の良太郎が他人の幸福には敏感なのと同じっていうか (おおっと脱線…; ↑監督としては、映画は嫌でも自分が出てしまうものらしく、 そんな理屈や生い立ちなんて小難しい事を考えて観て貰うんじゃなくて、 子供たちが無邪気に楽しく喜んでくれればそれが一番嬉しいんだろうけど。 お前泣き過ぎだろってくらい止めどなく涙があふれてた; 壮大な世界が地道な才能ある一人の一生の中に広がってる事とかに。 なんか自分の中の何かが触発されたんだと思う。 それを監督を通して、自分の中の何か (それが自分にあるもの≠あるいはありふれた傷なのか、 無いものなのかはわからないが)見てたのかも。 話それるけど、こうやって自分が思った事をつらつらと書いていて、 自分と向き合い過ぎても人ってバランスを欠くよね。 自分と全く向き合わないのもいかんと思うけど。 全ては平衡感覚。均衡のとれたバランス感覚が大事なんだと思う。 私は極端で偏りすぎてしまうんだけど。 自分に過干渉・過保護になっても結局自分が生きづらくなるだけなので、 監督みたく冷静に。あれこれ余計な物を掘り下げない生き方は参考になった^^ 考え過ぎてもいい事はない。 余計なものを細かく分析してみせたり理屈を説いても少しも賢くないと思う。 知らないでいい事やそっとしておいた方がいい事は山ほどある。 寝た子は起こすな。ぬかるみにいつまでも足をとられるな。 けど分かっていても、この先もついついやらかすだろうし(^ ^ゞ 日記にはたま〜には書くけどね\(^o^)/ 頭が整理されて、いい生き抜きになるんですこれが。 柔軟で臨機応変でバランスがとれていて、 頭の切り替えの早い人になりたいなりたい。 色んなタイプの人にあこがれてます。これからもいろんな憧憬をつづるよ。 脱水だ…!水分をすっかり奪われました…; 今から水だし緑茶をがぶ飲みます。 ↑拍手いつも沢山ありがとうございます! PR
5月ももう30日だなんて。もう今年も半分近く消費したのかー!
うーん、何してたかなあ。。。 まあここ数カ月はおばあちゃんの件でバタバタしてたな。 あとは仕事と家事か。時間ばっか早くて大した事してないけど^^; 充実してない事もないが、ものすごく充実してるかというとよくわからんけど。 今は、秋に向けて今からやる事がたくさんあるから、楽しみではあるな! 後半は濃い一年になるといいな。 人生には低くめのハードルをたくさん目の前に用意しておくといいらしい。 (なんかの歌でもそう言ってたような…Y○KIだったな) ハードル(目標)がないと、味気なく人生に迷うだろうし、 ハードルが高すぎると(要するに高望みってことか)、 失敗しやすく精神的打撃も大きいしなー。 普通(それ以上でも以下でもなく)に充実した人生って低いハードルが、 自分の成長に合わせて階段みたく徐々に高くなっていきながら こなし続けて行くのが幸せってもんかもな。 それが私が目指す、身の丈に合った人並みの幸せなのかも…。 なんて今、日記書きながらふと考えただけなんだけど(^_^;) ───ところで、昨日買ってきたジャムのビンのフタが開かない…。 湯せんしても、輪ゴムをかませても…。なんて非力なんだ自分('A`) ちょっくら返品してくる(or店員さんに開けてもらう)。 ↑拍手いつも沢山ありがとうございます!
今晩の22時でおばあちゃんの『三週』忌だ。
まだ三週、もう三週。 四十九日(七週)までもう半分になった。 ※でも四十九日までは、ここでひっそり思う存分偲んでみる。 『(初めての身内の)死というものに遭遇した自分』の心情に素直に向き合い、 綴ってみようとも思っている。 そうすることで、事実を受け留め、故人ともきちんとお別れできる気がする。 (「死」から目を逸らしていると、むしろいつまでも引きずるというから) これを機に、改めて自分というものを振り返り、分析してみようとも思っているしね。 大分落ち着いたもんだ。。。心配いらないよ。 ※ジメジメムードが苦手な人は総員退避!! こうして文章に気持ちを書き起こす事で、人に耳を傾けて貰うだけで、 落ち着きを取り戻しつつある。 時間と共に、 少しずつ悲しみが癒えてきているが…それにしても時間ばかり流れるのが早い。 + そうして、改めて振り返ると、 葬儀からの帰省直後1〜2週間の自分はどうも普通じゃなかったんだな、って事。 なるべく職場では祖母云々の事を考えないようにしてみるのだが、 いつも通り明るく仕事に励んでいても、 心は虚ろで、簡単なミスを何度も何度もしてしまう。 いけないと思うのに、焦るのに、それでも同じミスをくり返してしまう。 注意深く上司や先輩の話を聞いているのに、 聞いている傍から言葉が一向に頭に入って来ず、 無意識にうわの空になってしまっている様で。 結局、仕事に打ち込もうと思っても、全部『つもり』になってしまって。 心と身体がバラバラになってしまったようだ。 忙殺して全て忘れてしまいたかったのに、 簡単な事すらまともに出来ず、仕事に打ち込む事もできず苦しかった。 + どうやったって、身内との死別は避けられないもの。 私だけが経験するものじゃない。誰もが避けられないもの。 不幸なんかじゃない。ごく自然な事が私にも起きたに過ぎない。 自分だけが悲しい訳じゃない。 頭では分かっていても、いざ経験してみれば、 それはそれ、これはこれ、とでも言う様に(苦笑)。 見事に思考と気持ちがバラバラになった。 こんな悲しみを…遠い将来(であって欲しい)、 今度は親を見送る事になるのかと思うと、小心者ゆえ今のうちから怖くてたまらんよ。 *だから仮に自分が親になったら、おばあちゃんみたく誰の心配もかけずに、 *末永く健康で、精神的にも経済的にも自立しなければならないな、と思った。 *早いうちから子供や孫に心配かけちゃいかんよね。。。 *こんな、大の大人でも辛い様な悲しみを幼い子になんてさせちゃならんよ。 *そのためにも今のうちから身体を鍛えておかなければね☆ *それで、お迎えが来たら、私も穏やかにコロっと逝くんだ。 まあ、間違っても自分が親より先に逝くような親不孝は絶対するまい。 + また、 「悲しいからと言って、いつまでも引きずってはいられないでしょ! 自分の生活は自分で守り、逞しく生きていかなきゃ!」という前向きな気持ちと、 「いつまでも故人を偲んでいたい、深い悲しみに浸っていたい、 自分の中だけの閉じた世界で、静かに孤独に慎ましく生きていきたい」という 後ろ向きな相反する気持ちが常に同居している。 もちろん後者の後ろ昏い気持ちで、のうのうと生きて行ける程、社会は甘くないので、 後者は単なる妄想で、いわゆるファンタジーの枠を出ないが。 (そして、そういう社会だからこそ鍛えられ、健全でいられるのではないかと… (個人的に思うに、引きこもっていられる状態が長引くほどに症状は悪化すると思う 今更だけど人は常に、眩るい光と昏い闇を抱えて生きてるって事なんだよね。 常に明るく品行方正に強く逞しく生きて行ければ望ましいし、 何事にも動じない強い精神力があれば素晴らしいけど…。 (↑欲しい。どうやったら手に入れられるんだろう?) 『心があるから』いつも同じにはいかない。人知れず荒む夜もある。 人の心って本当に海みたい。穏やかだったり荒れてみたり。。。 そういう不安定なものに対して、どっちが善い・悪いとは割り切れないもの。 世間では『物事の表と裏』と称す事があるが、きっとどちらも本当なのだと思う。 何事も片方だけでは成り立たない。どっちの面もあってこその人間だろう。 + けど、最近は大勢の人との交流も盛んにあって、元気を取り戻してきた。 独りで抱え込んだり、引きこもったり、 悩んだりする隙を与えなかったのが良かったかも。 仕事と違って、無機質にひたすら孤独に打ち込むものとは違うし。 人で出来た傷は、やはり人で癒すのがいいのかもしれない。 どんなに些細な事だとしても、 人って、やっぱり人に支えられるものなんだなぁ。。。 + 自分を責める事(心の自傷行為)も最近ではだいぶ少なくなった。 もうすでにこの世には居なくなってしまった人への、 遣り場のない深い後悔や、無力な自分への激しい憤りを、 懺悔のつもりか、自分を責めてみたり・苦しめてみたところで、 (そしてそれがどんなに自己満足だと知ってはいても、 (気が済むまで止める事はできなかったし、 (醜く荒れる事も、今ここへ来てようやく落ち着いて来るまで、 (全部ひっくるめて、そういうものだったのかも知れない 亡くなった人に心配をかけるだけだ。(それでも悲しくなる夜もあるが) ↑故人を悼んで思いを馳せるのは良いとして、自分を痛めつけるのは良くない。 もう、自分で自分を責めるのは虚しい事だから止めようと思った。 誰も私を責めてはいない。単に自分で自分を縛っているに過ぎない。 そんな身勝手な思い込みで、おばあちゃんを巻き込んではいけない。 そんな悪い癖から、自分を許して遣れるのも自分しかいない。 客観的に見て、もっと楽に生きて欲しいと、おばあちゃんもきっと心配してることだろう。悪かった。 どんなに悲しい時でも、掃除して、自炊してたっぷり栄養摂って、 軽く運動して、きれいな空気に換気して、早寝早起きしてたら、 (昂って眠れなければ、眠剤のお世話になってでも無理矢理早寝する) 環境を整えていたら、心は健やかに回復するのが早まるんだって思った。 帰宅したら続きを書こうと思う。 ↑って毎度毎度、長っGEEEEEEEEE!!!!と思ったので、いい加減終わっとく。 この日の晩に、 事情を察した友達がお家にお招きして夜遅くまで話をじっくり聴いてくれた。 友達のご家族みなさんで、できる範囲でご飯やおやつも私のために用意してくれて、 帰りにはおやつもたくさんお土産に持たせてくれた。 ここのご家庭は、一人で暮らす私のに対してとても親身にして下さる良い方々だ。 人の優しさがものすごく有り難かった。。。 帰りは風が寒かったけど、温かい気持ちで帰路につけた。 私は多くの人に助けて貰っている幸せ者だ。 私がこの先、この人たちに何かお返しできる事はあるだろうか。考えてみたい。 ↑拍手いつも沢山ありがとうございます!
前回の、おばあちゃんのお骨についての気がかりな問題についての経緯。
おばあちゃんは、お母さんの素となった人です。お母さんは私の素となった人です。 だから、おばあちゃんが亡くなったという事は、 私の身体の一部を亡くした様な気持ちがして、 本能的にもなんともいえない悲しみがあるのかもしれない。 そして、私が日記にこのように記し続けるのは、大事な人が亡くなったという事実を、 少しずつ認めて受け容れて行く大事な作業(儀式)なのだと。最近気付きました。 + 祖母の兄妹は現在ほとんど大阪や京都の方に集まって暮らしていて、 何年も兄妹同士、「会いたいねぇ」と電話で話すばかりで、 お互い年老いて長旅をする体力もなく、直接顏も合わせないまま、 祖母は鹿児島で生涯に幕を下ろした。 まだ亡くなってたった三週しか経っていない。 …そうか、三週以上前にはまだ生きていて、温かったんだな。 四十九日は、魂がこの世とあの世を彷徨っているとか、この世に留まっているとか。 おばあちゃんは知り合いが多いので、きっと挨拶回りに忙しいんだろうな、とか、 生前、自宅のベランダでおじいちゃんに内緒で何年も何年も、 こっそり餌付けしてたネコたちにも挨拶してるのかも☆なんて考えてた。 *葬儀の後、ベランダで会ったネコのまんまるで真直ぐな瞳が忘れられない。 *さすがに勘が鋭いようで、なんらかの異変を感じ取っている様だった。 *私が残りのエサを器に注いでやっても、警戒してあんまり食べてないみたいだった。 *ネコ的には「ばーちゃんは…??」と思っていると思う。 *あと、「ばーちゃんの代わりにヘンなカッコした奴(私)がいる…(警戒)」とか。 *すまん。。。もうエサくれる人はいないんだよ…最後に沢山ごはん食べて行って。 私も祖母に素行を見られてるかもしれないので、うかうか妙なマネはできない(笑)。 泣いてばかりでは心配をかけてしまう。でも時々泣いてる(困)。 兄妹の仲が良かった祖母は、 「もし将来遺骨になったら、ひとかけらでもいいから親や兄妹が入っている(実家の)お墓に一緒に入れて欲しい」 と常々母や、自分の兄妹たちに電話で話していたそうだ。 私とも電話で話す機会はよくあったけど、そんな(死後の)話をすると、 私は悲しそうにするので、気を遣わせてたみたいだ。。。(ごめん、ごめん) それで、現在納骨される予定のお墓は、当然祖父のお墓で。 しかも、とんでもなく遠い孤島みたいなとこにある。 何度か祖父に連れられた事があったが、 桜島から車ごとフェリーで二時間以上もかけて移動し、 島についても 更に山奥みたいな最奥に車を走らせたような所に祖父の一族のお墓はあった。 なんでこんなへんぴな所に…。毎回思う。色々事情があるのだろうが。 お墓参りは大事だと思う。 大事だからこそ、まめに通える便利な所にあって欲しいと思うのも事実であり本音だ。 これからは、実際祖母の死を経験した事で、 お彼岸やお盆も、もっと大事な意味を持つものに変わって行くのだと思う。 この場所では、実際地元に住む祖父すら足繁くは通えてはいない。 年老いてきては尚更、通うのも一苦労だろう。 今はそれでも頼めば、車を持つ祖父が喜んでお墓参りに連れて行ってくれるだろう。 けどその後は……? 祖父も85の高齢で、将来祖父さえも先立ったあとは誰がそのお墓に来れるというのか…。 車を持たない私たち母娘だけでは、フェリー乗り場に辿り着くのかさえ怪しい。 島に着いたとしても、日が暮れる前にお墓にたどり着けるのか、気が遠くなる。 悲しいかな、足腰が丈夫な母でも昔と違って、疲れやすく体力も落ちてきている。 まして、祖母と仲が良いという兄妹も高齢で、 生前の祖母にもなかなか会えなかったというのに。 (祖母が亡くなってから葬儀には頑張ってすぐに駆けつけてくれていたけど、 (それが、祖母が亡くなる前じゃあ無理だったのかな、と思うのは、 (私のワガママなのだろうね。。。もう今となっては考えてもしょうがないが (そーだよね、私たちだって運が悪ければ祖母を見送れなかったかもしれなかったんだ (この人たちも必死でお金を工面して老体に鞭打ってやって来たに違いない (そんな個人の都合に無理言っちゃだめだよね…;けど思うだけなら許して欲しい (そして、向こうもこちらには思う所があるんだろう、と相手の気持ちが分かった そんな最果てのお墓となれば、←改めて突っ込む。どんな立地だよ…!! あの人(兄妹)たちは、もうお墓の状態で祖母と会う事は叶わないだろう。 だからこその、おばあちゃんの最後の最後のお願いだったんだろう。 祖母の自家のお墓は、兄妹たちが京都に移してきてるから比較的お墓参りしやすい。 この祖母の願いは、祖母側の兄妹ならみんな知っている事の様で、 お骨の件をどうするかについての、兄妹揃っての一族会議が葬儀の後あったそうだ。 けど、いくら兄妹で話し合ったって、配偶者の祖父が首を横にふれば、 何の意味も成さないのは分かっていての事だろうが…。 それでも話さずにはいられないんだよね、それが兄妹ってものなんだろう。 私には兄妹がいないから分からないけど。家族ってそんなものなんだろう。 祖父は偏屈というか、 元刑事のため(これでも丸くなったそうだが)非常に気性が荒く変わっていて、 (※一応、全ての元刑事さんには当てはまらないと思うので念のため…) 大人しい祖母を「仕事の電話番して貰わないといかんから」と言って、 長年窮屈な家に押し込めたまま、ほとんど旅行に連れて行く事もせず、 外食など家族サービスも一切せず、兄妹に合わせてやる事もしなかった。 (けど、人に好かれていた祖母だったので、尋ねて来る人が断えた事はなかった) ↑それでも祖父なりに、祖母や私たちを大事に扱っているらしいから困る。 祖父的には全く普通の感覚なのだ。 もっと一般的な思い遣りがあり、穏やかな性格だったら良かったのに…。 と、今更になって思うのも無いものねだりなんだろう。仕方のない事。 そんな祖父の祖母に対する態度のお陰で、 祖母の兄妹や祖母側の一族からは祖父はあまり良い印象や交流が一切ないので、 祖母側の一族の人間が、 何を言っても、祖父はお骨を渡してはくれないだろうと誰もが思っている。 今思えば、おばあちゃんが元気なうちに遺言を遺してくれていたらな、と思うが…。 (亡くなってから万一揉める事を思うと、遺言も本当に大事なんだなあ…) 下手に祖父の機嫌を損ねる様な事があってはならない…。 機嫌を損ねると、こちらの話には一切耳を貸してくれなくなるからだ。 このままでは、おばあちゃんの最後のお願いが潰えてしまう。 まだ微妙な親族の誰かよりは、幼少から祖父と交流のある私が…。 できる限り、おばあちゃんの願いに沿える形で私がなんとか交渉?できないか。 おばあちゃんを見送った後もひたすら悲しみに暮れる暇もなく (いや、暮れまくってたけど…;) あのへんぴなお墓に納骨されるまでにどうするか…そんな事を考えていた。 おばあちゃんが悲しんでる暇を、私に与えてくれない様にしてると信じて…! ↑たまにスピリチュアル的な発想になるのはデフォです。すみませんアフォで…(照)。 何年もろくに兄妹に会わせて貰えず、 ある意味祖父に縛られて一生を終えたおばあちゃんが、 亡くなっても尚、あの更に遠く、寂しいお墓に親や兄妹と離れて 独り入ってしまうのは不憫な気持ちになる。 それだけは大人しく気丈なおばあちゃんでも耐えられなかったんだろう。 だって、お墓には電話もポストもないんだから。 みんなが足を運んでこそのお墓でしょう? 最後のお願い、叶えてあげたい…! 四十九日後にはすぐ納骨するって言ってたな…。時間がない。 一旦、納骨が済んでからでは遅い、というかより難しい。 『改葬』といって色々な書類や手続きが複雑になってくるみたいだから。 今回の件を通して、生まれて初めて調べたり知ったりした事がたくさんある。 悲しい事も、今後の糧にしてみせるぞ。無駄にはしない。 つづく ※この翌日以降?の日記にこの続きを書くかも知れない。 自分自身への覚え書きとして。忘れたくない。 もうおたくでもなんでもない日記だよなぁ;まぁ一応個人の日記なんだからいっか。 ↑拍手いつも沢山ありがとうございます!
※東海遊戯については、この前日に記してありますv
あと、4/4の18:01の拍手の方。 バタバタしてたので、確認が遅れてしまいました;すみません。 反転でご覧下さい。 OO続編あったんですね〜!よかった。ご親切にありがとうございます。 って、みんな死んだっぽく見せかけて生きていたらいいな個人的に。 ガ○ダムも半期ずつに分割放送の時代かぁ(゜Д゜)今どきですね(笑)。 じゃあ、きっとベストも出ますよね!買っちゃおっと♪ どうも有難うございました! + 前の日記の通り、早く休もうと思ったんだけど。 寝床に入っても結局、おばあちゃんに思いを馳せて胸を一杯にしてたら、 丁度さっき、おじいちゃんから電話があった。 おじいちゃんも、あんな一軒家にいきなり独り残されて寂しいんだろうな。 電話で誰かと繋がっていたいんだろう。 ああ、人って幾つになっても寂しいんだよね…。大事な誰かの存在なくしては。 けど、気丈にも慣れないはずの家事も器用にこなしてるみたいだ。 好きだったたばこも辞めたんだって。 意志が強いから、一度決めるとあの人は挫折しない。 口寂しくなると、ビスケット食べるんだって。なんかそれ、かわいいじゃん! 糖も程ほどにね。 電話では相変わらず声を張って話してくる。おじいちゃんを落ち込ませない様に、 おばあちゃんの想い出話なんかを明るく話してみたりして…。 それで、お墓の話になったんだけど、 おばあちゃんのお骨を、四十九日後の5月中旬頃、お墓に移すって。 それで、うちは何かと複雑なんで、 今回、お骨を納める件でとても重要で、気がかりな問題があったんだ。 そして、それは実子の母と私でも解決は難しいと思われる、 報われないはずの願いがあった。 しかし!光明が見えてきたぞ…!安堵のあまり、嬉し泣きしてしまった。 こんな深夜に、おばあちゃんの事考えてたら、 おばあちゃんのお骨が抱える問題を解決する答えが降ってくるなんて…! 偶然かもしれないんだけど、なんか不思議な気持ちがするな。。。 強く願う気持ちが、望む答えを引き寄せたかの様な…。 我ながらスピリチュアル的な事を言い出して恥ずかしい〜!←照れ隠しです☆ なんか…その…、そんなタイミングだとそんな気がしちゃうだろうがっ! けど、やっぱおばあちゃんは、 無償で色んな人を助けたりして、大勢の人に好かれた人間だったから、 亡くなっても尚、幸運が巡ってくるんだ、きっと…! 今この瞬間も、またひとつ経験をもって学んだ。 人って死んだ後も、自分の行いがきちんと返って来るんだ…! 亡くなった人の魂を、返ってきた恩が守ってくれるんだ。 そしてそれは、私たち子孫の幸福でもある。一緒に守っていかなければ。 今度こそ、それを私たちができる限り、全力を注いで助けたい…! 亡くなってからになったけど…おばあちゃんに孝行するチャンスが巡ってきた。 だから証拠も兼ねて、覚悟を胸に刻む意味でも、すぐ日記に記す事にしたんだ。 とりあえず、深夜だけど、緊急でお母さんの病院に連絡しなきゃ…!では!! ↑緊急の用件という事で、電話を特別に病棟に通して貰ったけど、 お母さん、眠剤飲んで寝てたので、起床する明け方のお知らせになりそうだ。 それまで休もうっと…。今度こそおやすみっ(つω`*)♪ ※また、落ち着いたら明日以降?にこの記事を更新するかもしれないし、 翌日以降の日記に書くのかもしれない。わからないけど。 |