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今日、午前10時頃、
京都の本家のお墓におばあちゃんのお骨が無事納骨されたそうです。 (先週おばあちゃんの弟さんが、鹿児島からおばあちゃんの分骨したお骨を (持ち帰って貰ってきていた ここが、生前おばあちゃんがお骨のひとかけらでも入れて欲しいと言っていたお墓。 良かったね。。。。・゚・(つд`)・゚・。 本当に。 おばあちゃんのご両親と同じ所で安らかに眠ってね☆*:・° 朝、お供物のビールとろうそく、お線香をあげました。 黙とうしていると、久しぶりに静かに涙がながれてきた。これで一安心だね。 ↑拍手いつも沢山ありがとうございます! PR
この日はおばあちゃんの四十九日でした。
早い様な遅い様な。。。けど3月の出来事が遠く思える…。 まだ亡くなってから一月は以前書いたように、 精神的なショックから仕事が全然うまくいかなくて、厳しかったけど。 お陰さまでなんとか今は仕事で忙しくさせてもらってる。ありがたやー(>人<) お供えとお祈りをしてても、心穏やかに過ごしてるよ。 やはり四十九日って、 遺族の気持ちを整理する期間でもあるんだなあ、としみじみ思った。 昔の人はすごいね。もちろん宗教的な意味合いもあるんだろうけど、 そういう気持ちも自然なものとして四十九日というものを定めたんだろうから。 この日は特別な夜って事で、お母さんもうちに泊まりに来た。 二人でお線香をあげて、一晩中灯籠にろうそくを灯して親子で賑やかに過ごした。 部屋の照明も消してみたら、ろうそくの優しい光にすごく気持ちが落ち着いた。 おばあちゃんが亡くなってから、 自分の内面に向かって気持ちの変化などを書き綴りだす様になってできたカテゴリー、 「心の整理(自分カルテ)」にもおばあちゃんの事やら悲しみに暮れてたり荒れてたりした時期から、落ち着いた気持ちになっていくまでが書かれているので、 こちらの「お別れ」のカテゴリーにもつなげておこうと思う。 ・(後半、六週忌について触れてます) ・(後半、五週忌について触れてます) ・照明が切れまくってた夜;この頃から落ち着いてきた(四週忌) ・三週忌の夜に考えたこと ・光明1 ・幸運の兆し…! ・ありがとうございましたv(二週忌) ※一週忌やその他は、この「お別れ」カテゴリー内にあり。 それで数カ月でも数年でも、 おばあちゃんの事を自分の中でいい思い出に昇華できたら、 アルバムみたいに懐かしんで読み返してみようと思う。 この四十九日でおばあちゃんへの私の気持ちが一区切りついた事で、 ひとまず、「お別れ」のカテゴリーも一区切りという事になりました。 日記を読んで下さっていた方々には、本当におつき合い下さってありがとうございました。 おばあちゃんも、家族も、 オンでもオフでもお世話になった方々全てにありがとうございました…! + 今後も、もし何か吐き出したい事や打ち明けたい事があったら、 この「心の整理(自分カルテ)」のカテゴリーには書込んでいこうと思う。 きっかけはおばあちゃんの事だったけど、 日記に心情を正直に書き綴ってみると、すごく気持ちが楽になるのに気付いたから。 多分、親しい人達に悩みや思っている事を打ち明けているのに近い感じ。 そして、それを公開してある日記に書く事で、 もしかしたら親しくさせて貰ってる人にも密かに読んで貰えてるかもしれない、という安心感があるんだと思う。 日記には私が書きたい時に書きたい事を個人的に書いてるだけなので、 サイトと同様に自己満足に過ぎないんだけど、それでも、 「自分のことを誰かに解って貰えてる」(かもしれない)というのは、すごく気持ちが落ち着いて安心する。 私の事について知って貰いたい気持ちがあるんだと思う。 一応、個人の日記とはいえ、公開してある事を前提に書いてはいるつもりなので、 自分たった一人のときより、第三者の目がある事を少なからず意識すると 冷静に自分の内面に向き合えると思うし。。。 必要以上に落ち込んだり、沈んだりせずに済む気が(^_^;) この日記は、取扱いジャンルやおたくの話題以外のことや、 個人的な日常ばかり書いている事もあるので、ていうか長いし; 読む人しか読まないと思うけど…。 今後も機会があればよろしくお願いします゚.+:。(´ω`*)゚.+:。 翌日は母の日だったので、夜はお寿司をお母さんにごちそうしたよ(=´∇`=) あまりお金はかけれないけど、喜んで貰えたなら良かった。 ↑拍手いつも沢山ありがとうございます!
こどもの日ですね。
予定より5日早く、おばあちゃんのお骨の半分が、うみを渡ったそうです。 あの寂しいお墓に半分行ったのか、と思うと切ない(´・ω・`) いやいや、そんな寂しく考えちゃいかんわね。 だって、あとの半分は、おばあちゃんの実家の墓守りをしている兄妹が、 直接持って行って納めてくれるんだから。良かった。 最初、 「お姉さんは○○さん(おじいちゃん)へお嫁に行ったのだから、○○さんのお墓に入るべき」 とか一族会議で結論出してきたときは、危なかった。 おばあちゃんの遺志は直に伝わっていたはずなのになんで…!と思ったけど。 誰がそんな事言ってるんだとか、他の兄妹の意見はどうだったのかとか、 一瞬焦ったけど、何年か時間がかかっても自力で何とかするつもりだったから、 しばらく静観に徹していたら、状況は好転した様だった。 生前のおばあちゃんの遺志に沿う形にしてくれて良かった。 おばあちゃんの気持ちをわかってくれて。理屈じゃないって事を。 私がやった事といえば、好きな香りのお線香を買ってきて灯して、 ろうそくは有り合わせのアロマのしかなかったけど、 特別にろうそくも灯けて、ビールも御供えしてお祈りしました゚.+:。*゚.+:。 そんだけでした。 お線香は私が買ってきた安いやつだったからけむりがたくさん出た。 好みの香りを選んできたつもりだったが、火を着けてみると イメージと大分違う香りで、鼻にツンときた。 けど、それでいいと思った。けむりが室内にくゆってるのもきれいに見えたから。 ああー、このけむりと一緒に天に昇っていってるんだな、と思って手を合わせていると、 そのけむりが手のひらみたく私の頭にゆっくり近づいてきて、目にしみた。 私もお母さんも、いつかおばあちゃんと同じお墓に入る事ができるでしょうか。。。 ↑拍手いつも沢山ありがとうございます!
色々な方のお力添えにより、
なんとか母娘揃って、祖母を見送る事ができました。 もう8〜9割駆けつけるのは無理かと思っていたから、 例え電車を乗り継ぎ11時間以上の長旅になっても、辿り着いて本当に良かった。 おばあちゃんのご加護があったのかもしれない。 そして鹿児島から無事帰って来ました。 ご心配おかけしました。 *滞在先での励ましや、お悔やみのメールを下さってありがとうございました。 *メールをしていると、悲しい気持ちから気が逸れて良かったですよ。 *(こうやって日記を書く事に打ち込むのも、同じ事なのかも…?) *どんなに立て込んだ時も、そんなメールを邪魔に思う事など絶対にないです、 *優しい言葉をかけてくれる気持ちを何よりもありがたく思います。 *場合によっては返信が遅れる事があっても、返信は必ずします。 早いもので、ちょうど今日でおばあちゃんが亡くなって一週間だ。 この一週間は、まるで夢でも見てたみたいに色々あって、 頭がぼんやりしている。 実際おばあちゃんの姿を見ても、 眠っている様な、静かに話を聞いてくれている様な安らかな顏で。 なんだか本当に亡くなったのかな、 もう二度と会えないなんて本当だろうか?と未だに思ってしまう。 触れてみた頬がどんなに冷たくても。思っていたより柔らかかった。 お棺に入れたいと思っていた手紙や写真を急な移動で用意できなかったので、 葬儀場に着いてから、 誰もいないトイレで泣きながらノートの切れ端に手紙を書いた。 みんながお棺に花を入れるときに、 おばあちゃんの右頬のあたりに花と一緒に埋めた。 今頃天国で愛犬たちとゆっくり読んでくれているかも。 火葬されて、きれいな真っ白なお骨になってからは、 尚更リアリティがなくなってしまう。 人間って、1時間半でこんな欠片になってしまうんだ…。 お箸で骨壷に入れながら、このきれいな欠片がおばあちゃん…? 火葬場から、また葬儀場に戻る途中に、骨壷を抱えながら見る景色は、 雲一つなく晴れて空は真っ白だった。道路もあまりにまぶしくて、 今抱えてるお骨や、自分がここに居る事も、見覚えのない親戚たちも、 おばあちゃんが亡くなった事自体、全部白昼夢みたいだった。 (白昼夢って多分こんな感じなんだろうな…と涙を枯らしてぼんやり考えていた) 親戚の叔母さんと話したとき、 体操の教師をしていて風邪を滅多に引かないという叔母さんも、 おばあちゃんが亡くなる前に珍しく風邪を引いたと言う。 私も普段は丈夫で、あまりひどい風邪を引かないんだけど、 亡くなる日の前後に急にひどい風邪を引いた事など、 今思うと、もしかして虫の報らせだったのかもしれない。 お母さんはまた病院に戻っていった。 地元の駅まで帰って来てきたら、頭上には桜が満開で。 夜空に桜が映えて、はっとする程とてもきれいだった。 風にわずかに揺れている様子は、 まるで桜が微笑っている様な、話しかけてくれている様に見えた。 くたびれてずっとうなだれてた頭を、上げなさい、と言われた気がした。 おばあちゃんは大正13年3月4日生まれで、 こんなに桜が眩しくてきれいな時季に生まれて、 また、こんな季節に去っていったんだなぁと思うとなんだか胸が切なくなった。 帰って来てからは泣く事もなく眠っていたけど、 やっぱ今、色々思い出しながら日記書いてたら涙が溢れてきてしまうな。 おばあちゃんとはまた来世で、家族として逢いたい。 ↑拍手いつも沢山ありがとうございます!
↑タイトルに「目にティッシュ詰めて書いてます」とはさすがに書けなかった…。
昨日に引き続き、鼻水の次は涙だよ…(^_^;) 今日もね、SHT(ゴーオンとかキバとかプリキュアの時間帯ね)観たあと、 ずっと安静に寝てたら、 (のんきにモモタロスがいっぱい出てくる夢を見てた幸せだった) 夕方17:35に親戚の叔父さんからケータイに電話かかってきて、 寝起きの低い声でケータイに出ると、 「○○ちゃん、お義母さん亡くなったからねえ(鹿児島弁)」 「…、え……?」 昨日、3月22日(土)の夜22時頃、 おばあちゃんが亡くなっちゃった。 ほんとに別れって突然だった。 私、おばあちゃん大好きなんですけど…。あの…。 とりあえず入院中のお母さんにもその事を伝えた。 叔父さんが言うには、 今朝、おじいちゃんが布団で冷たくなってるのを見つけた様なんだけど。 死因は「心臓が…」とか言ってたけど、苦しんだ形跡はなかったらしい。 心不全だろうか…?眠る様に亡くなったのなら、せめて救われるけど…。 滅多に交流のない叔父さんから、私に連絡がくるなんて、 当然だけど、おじいちゃんのショックは相当量り知れないものなんだろう。 身内の死は、私にとって生まれて初めての事で、 夕方電話で聞いたときは悲しみがどうこう以前に、何がなんだか訳がわからなくなった。 何がなんだか、交通費があれば今すぐ支度して空港に走る所だろうが、 そして本来なら鹿児島にとっくに着いてる頃だろうが。 お金が本当になかった。する事がない。実感もない。 しばらく『ちび○る子ちゃん』を見たままぼんやりした。 その後、『サザ○さん』が始まってから、たくさん泣いた。 それで、ひとしきり泣き疲れて落ち着いてから、ネットやったり、 メールを送ったりして気を紛らわせたかったんだと思う。 本当に…体調の事を気遣ってメールを送って下さった方に、 今日は特に…、体調の事以上に救われてましたよ。 人間いつ何時、何に見舞われるかわからないよ。生き死には特に…。 ありがたく、嬉しいメールを何度も何度も目を通して、 嬉しい気持ち、恵まれてる気持ちで、悲しさを和らげさせて貰った。 また、ここ見て驚かれるかもしれないけど…;ごめんね; ありがとう、本当にありがとう。ありがとう。 おばあちゃんには、毎月1〜2回は電話をしてあげてた。 私もおばあちゃんと話すのは好きだったし。 「あげてた」なんて言うが、 私がおばあちゃんの明るく穏やかな性格に毎回癒されて貰ってたんだけどね。 一昨年の年末に会ったきりだったから、 また頑張ってお金貯めて会わなきゃな!なんて思ってた。 けど最近では「忙しいから」と、 一月近くまともに電話ひとつしてあげられなかった自分を悔やんだ。 何が忙しい、だ。大層な仕事もしてないクセに。鹿児島に駆け付けるお金も稼げないクセに。 ご飯食べる時間も、トイレ行く時間も、休憩をとる時間も、毎日あったじゃないか。 時間もチャンスも自分で作るものって知ってたくせに。。。 知っててやらないのは怠惰であり、罪だ。あとお金がないのも罪だと思った。 よくやりがちな、 「忙しいから」「お金ないから」を言い訳に、 何もしない・できない人間(自分を大いに含む)は最低だな、と思った。 とりあえず何でもそれで言い訳がまかり通ってしまうだけにタチが悪い。 結局、後悔するまでそのままにしちゃってさ…。 『生きていたら』、電話一本でいつでも話せる(繋がれる)ってタカを括ってたんだ。 『生きていたら』ね。 高齢だったし、近い将来こうなる事はわかっていたはずなのに。 こないだの春分の日でも、亡くなる日の午前でも機会はあったじゃないか。 土曜の午前にでも電話してあげられたら、 病は気からというし、その日の晩には死なずに済んだんじゃないのか。 おばあちゃんの孫は私たった一人だけだから、 お母さんは入院してるから、自分(母)の事に集中するしかないし(して欲しいし)、 他でもない「私」が! 最後に目をかけてあげられなかった事にすごく責任を感じるし悔やまれる。 家族との死別は、避けて通れないもので、特に祖父・祖母との別れは、 すでに経験されている方も少なくないに決まってるんだけど。 けどやっぱ悲しいものは悲しいね…。 遠く離れた地から駆け付けてあげられないし…。親族はもう集まってるというのに。 たった一人の孫の私が駆け付けられないのかよ。一人娘のお母さんも…。 明日のお昼には火葬されちゃうよ。。。 直接、私とお母さんの写真を棺に入れてあげたかった。 昔可愛がってた犬の写真とかも…。 けどおばあちゃん、よくコロッと死にたいって明るく言ってたから。 (人に面倒かけるのが嫌だったみたい) 希望通りになって良かったね…。きれいな去り際でした。 生活もおじいちゃんと二人きりで、 誰にも面倒かけず自立してたし立派な生き様だった。 おばあちゃんは気は優しくて芯の強い薩摩おごじょだった。 私にもその血が脈々と流れている事を誇りに、もっと逞しく生きて行きたい。 ↑拍手いつも沢山ありがとうございます! |